2007年 08月 23日
クライドルフと同時代を過ごした多くの仲間たち。 文豪ヘルマン・ヘッセもクライドルフと大きな関わりのあった人物のひとりです。 ヘルマン・ヘッセは、1877年、南ドイツのシュヴァーベン地方にある小さな町、カルプで生まれました。カルプはシュワルツワルト(黒い森)に囲まれた、ナーゴルト川がゆったりと流れる谷あいの町で、ヘッセは誕生から4歳までと、9歳から13歳までの間をここで過ごしました。 このかわいらしい男の子は4歳のときのヘルマン・ヘッセです。彼も少年のころ、蝶採集を楽しむイタズラ坊主だったようですね。肩に下げているのは虫かごだそうです。 <少年の日の思い出>として知られている彼の短編の原題は<夜のクジャクの目>。 夜のクジャクの目のように美しい、蛾の羽根に魅せられて犯してしまった過ち・・・裕福な友人の蛾のコレクションに手を出してしまった過去が記されています。 夏休みというものは、こうでなければいけない。山の上のほうには、りんどう色の青空。何週間も、ぎらぎらするような暑い日がつづく。ただときたま、はげしい、束のまの雷雨がくるだけ。河は、多くの砂岩石塊や、もみの木かげや、せまい渓谷のあいだをとおって流れているのに、夕方おそくなってからでも水浴ができるほど、水があたたまっていた。この小都市は、ほし草と二番刈りの草のにおいに、ぐるりとつつまれていた。いくつかのこくもつ畑の細いおびは、黄色く、また金褐色になっていた。 「車輪の下」より。 ・・・どこかクライドルフの描く小人たちの世界のようですね・・・・ (ヘッセの水彩画) ヘッセは健康上の理由から第一次世界大戦時の徴兵を免除され、そのことを記事に書いたことからドイツの人々に総スカンをくらい、非国民呼ばわりされてノイローゼ状態にまで追い込まれたといわれています。 彼の心を癒したのは庭仕事の楽しみであったことはよく知られています。 クライドルフとヘッセが初めてであったのは1904年ごろのことのようで、共通の画家の友人を介して親交を深めていったようです。1917年にはクライドルフは画家で詩人のGustav Gamper (1873 – 1948)、そしてヘッセとともに旅をしています。 ヘッセが絵筆をとったのは40歳ころと遅いデビューだったようなのですが、彼の水彩画の初期の手ほどきをしたのはクライドルフ、そして他の画家の友人たちでした。 ベルンでヘッセが描いた彼の家や庭のタッチは、はじめの数年間、非常にクライドルフのものと似通っていたそうです。もちろんヘッセのことですから、すぐに自らのスタイルを確立していったそうですが・・・。 クライドルフの絵画。 挿絵画家としてのタッチと異なり、神秘的な世界をたたえています。 クライドルフとその友人たちをめぐっての展覧会が今年1月にベルンでありました・・・ あ~、どこでもドアがあったらよかったのに~(涙) ヘッセについてももう少し勉強してみようかなあ、とも思います。 ヘッセとクライドルフの関係についての文献は日本語ではなさそうです・・・。どなたか情報がありましたらご教示いただければ幸いです。
by EKreidolf
| 2007-08-23 19:36
| エルンスト・クライドルフ
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