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2009年 01月 24日

生と死のはざまで ~ムンクとクライドルフ~

 今日は寒い日となりました。
風邪気味なのでおうちでのんびり。
母にもらった柚子ジャムをお湯で割って温かくして飲んでいます。
そうそう、義父さんに送っていただいたお野菜で風呂吹き大根をつくったら最高に美味しかった^^
やはり冬はあったかい食べ物に限ります。
たまにはクライドルフについて真面目に考察。

 エルンスト・クライドルフは1863年、スイスのベルンに生まれ、1956年に亡くなったため、
彼の生きた時代は私たちのそれとほぼ1世紀以上の隔たりがあります。
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画像は蝶の葬儀の様子を描いたクライドルフの作品。
 わずか100年あまりのあいだに時代は大きく変わりました。
経済の規模ははますます拡大し、流通経路を発達させ、かつて田舎であったところはみるかげもなく開発され、昔の面影をとどめてはいません。
 ひとびとの生活も大きく変わりました。医療が進み、予防医学が浸透し、乳幼児死亡率が下がり、
人々の平均寿命もぐっと長くなりました。
このためひとびとの持っていた生と死への感覚も大きく変わったようです。
かつては死はあまりにも身近でした。

 エルンスト・クライドルフは恥ずかしがり屋で、少年期には非常に感受性の強い子だったそう。
しかしその彼の家族に病魔は情け容赦なく襲いかかりました。
クライドルフは30歳までに、最愛の母、姉、二人の弟を結核のため失っています。
彼はミュンヘンで絵の勉強をしながら石版工としての修業を積んでいましたが、
精神的に非常に追い詰められ、眼症状の強い片頭痛に悩まされたためアルプスのパルテンキルヒェンへ転地療養を余儀なくされます。

 クライドルフがなぜ、クライドルフと成り得たのかについて考察をしたいところですが、
急がば回れ、今日はクライドルフとほぼ同時代を生きていた画家、ムンクについて考察。
彼もまた、病魔により家族の多くを失い孤独のうちに制作を続けた画家。



画家エドヴァルド・ムンクはノルウェーの出身。
生まれたのは1863年でクライドルフと同じ年です。(没年は1944年)
 彼もまた同じ時代を生きたため、結核の猛威から逃れることができず、
わずか5歳にして母親を、続いて15歳の時に姉を亡くしています。
生来病弱な体質で、死への恐怖、生への不安感は彼の脳裏に焼き付いて離れようとせず、
絵を描くことでのみその不安を解消しようとしていたのだとか。
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ムンクが画家としての本格的な活動を開始したのは1892年にミュンヘンに移住してからのようです。
『病める子』『叫び』『マドンナ』などの有名な作品をつぎつぎと描きあげました。
そんな彼にも病魔は静かに襲いかかりました。
もともと左目が弱視であったためにほぼ右目だけで画業を行っていた彼ですが、
結核による目の炎症から度重なる飛蚊症が現れるようになったのです。
これは彼の絵にも如実に姿を現し、影響を及ぼしているようです。
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不幸なことに63歳にして彼はイールズ病(結核からきた網膜静脈炎)のために
眼内に出血を起こします。幸いにして失明を免れたのですが、1944年に80歳で逝去するまで
失明を恐れ続けたのだそう。

ムンクの作品、特に初期のものに顕著に表れている生への強い不安と葛藤。
これらをクライドルフもきっと自らのうちに内包していたのに違いない。
しかし彼はアルプス山中で出会った花々たちを描くことで、
自らの画家としてのアイデンティティーを確立し、新しい絵本の世界をつくりあげました。
そんな彼の足跡をひとつひとつたどってゆけたらと思います。
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by EKreidolf | 2009-01-24 15:07 | エルンスト・クライドルフ


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