2007年 06月 29日
丘の上に流れる雲とたわむれた日々を懐かしんでたのは誰だったかなあ。 ふとたちどまるとき。 この道を選んできたのは自分 そしてまた、これからも選択してゆくだろういくつかの岐路 青い空に浮かぶ白い雲をみてぼんやりしたくなっちゃったけど 何だか今日も曇り空。 心に浮かび行くよしなしごとは、風に吹かれて飛んでゆけ~ そして、今日も元気にはたらくのです むすめがつけはじめたメモ帳には<きょう にんびょがしにました>とあった。 妄想癖は着実につたわってるらしい。 思い出した・・・ 「大空に漂ふ白雲のひとつあり。 童、丘に登り松の木蔭に横たはりて、ひたすらこれを眺め居たりしが、そのまま寝入りぬ。 夢は楽しかりき。 雲、童をのせて限りない蒼空を彼方此方に漂ふ意の閑けさ、 童はしみじみうれしく思ひぬ。 童はいつしか地の上のことを忘れはてたり。 めさめし時は秋の日西に傾きて丘の紅葉火のごとくかがやき、 松の梢を吹くともなく吹く風の調は遠き島根に寄せては返す波の音にも似たり。 その静けさ。 童は再び夢心地せり。 童はいつしか雲のことを忘れはてたり。 此後、童も憂き事しげき世の人となりつ、様々のこと彼を悩ましける。 そのをりをり憶ひ起こして涙催すは彼の丘の白雲、かの秋の日の丘なりき。」 国木田独歩氏の『丘の白雲』でした。 季節感、まったくなくってスミマセン。 空を見上げるむすめの横顔をみていると自らの来し方もしのばれて、 ついセンチメンタルな気分にひたることがあります・・・。 クライドルフには<子どものころ>という名著があって、幼きころの夢のような絵がついているのですが、残念なことにわたしは所有してないのです・・。 今日アップした絵は白雲ならぬ、<くさはらの小人たち>とたわむれる幼い子の絵。 なぜか『丘の白雲』が思い出されてなりませんでした。
by EKreidolf
| 2007-06-29 10:37
| エルンスト・クライドルフ
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